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勢州にて②

なんにも決めず、なににも縛られない旅だから
出会える土地や景色があり、出逢える人がいる
んじゃないかなって思います。

ノープランだから、
地図を見て気になった場所へ、とりあえず行ってみる。
地元の人のオススメを聞いて、とりあえず行ってみる。
もし、つまらなかったら引き返せばいいだけ。


ぶらっと訪れたその町。あとから聞いたら
「にほんの里100選」のひとつで
映画「千年の愉楽」ロケ地になった場所だそうで。



002
須賀利町(三重県尾鷲市)。

ちょー↗オモシロイ土地でした。

ぼく的に。



※・以下は全て聞き書きにつき、内容を保証できませんので悪しからず。
(内容に間違いがあるとしたら、当方の聞き間違い・理解不足・メモ間違い
 等々によるものです。)

◯平安時代頃には、須賀利の先祖【元須賀利(=沢)の地で】は伊勢神宮へ塩を
おさめることを生業としていた。

◯先祖は約450年前(戦国時代後期?)に元須賀利から現地(須賀利町)に
移住してきた。

◯須賀利港は江戸時代に風待港として栄えた。

◯天保の大飢饉(1830年代)に、村人たちは皆、須賀利を離れる算段をしていた。
しかしそのとき、須賀利の入江に34,000匹のマグロが迷い込んだ。
村人(=漁民)は総出でマグロを囲い込み、自分たちの持つ網をつなぎ合わせ、
須賀利の入江にマグロを閉じ込め生簀とした。
深い入江を生簀とすることで、マグロを冬夏問わず、いつでも好きときに好きな
だけ市場へ供給することができた。この売上を須賀利全体で分け、一件につき七両
が支払われた。(当時の七両は一件の家が五カ年暮らしていける金額だった)
(注・マグロの供養塔がいまもF寺に残る)

◯昭和35年から42年あたりまでこの港はカツオ漁で賑わった。
 ピーク時には人口1,400人を超えたが、現在は265人しか居ない。

001

◯現在、交番・診療所・保育園(廃園)・小学校(廃校)・中学校(廃校)・郵便局はなく
(簡易郵便局はある)、中学生以下の子供はこの地域におらず、高校生が少人数いるだけで
 あり、この町は過疎化の最前線にいる。

◯尾鷲市の飛び地であるこの漁村は、昭和50年代まで陸路はなく(!)、
海路(尾鷲-須賀利を結ぶ巡航船)のみで生活してきた。昭和57年に陸路開通。

◯しかし、巡航船は昨年(H23)9月末に廃止。 巡航船97年間の歴史に幕を閉じた。

◯現在の須賀利は鯛と伊勢海老の養殖で生計を立てている。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

須賀利で話を聞かせてくれた方々・F寺住職。汚いナリした怪しいバイク乗り
を嫌がらず親切に接してくれて感謝です。
貴重な時間を割いていただきありがとうございました!
皆さんのお話とても楽しくて興味深かったです。

和尚、せっかく紹介いただいた熊野古道センターには、日程の都合で伺うことが
できませんでした。Sさんには、次の機会に是非ともお話をきかせていただきたい
と思っとります。


「千年の愉楽」必ず見ます。いや、ゼッタイ見てみたい。
で、いつか、須賀利には夏休みにおじゃましてみたい。そのときには、
港を眺めながら「須賀利の鯛」をツマミに冷やで一杯ヤりてーなあ。


日本の古き良き漁村や農村がいつまでも元気でいられますように。
そこに暮らす人々がいつも幸せでありますように。

どうもありがとうございました 須賀利町。


130109_1200~001
(伊勢湾フェリーで一息つくテツオ。おつかれさん、4日間ありがとな)



2013,01,22
はくけい堂

追:
紀伊半島は広いですね。ぼくのペースでは4日かけても1/5周しかできてません。
紀伊半島のどでかい景色に比べりゃ、伊豆は小さな箱庭ですがね。
でも、勢州旅のおかげで「小さな箱庭」をまた好きになれた気がします。


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