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石切り場のこと

先日の定休日。

kenさんに、とある石切り場を案内してもらいました。


(photo by 軽薄堂)


ナニ此処? 

この異空間はなに?!





石切り場入口から感動&興奮しっぱなしのワタクシ。
この不思議空間が放つ独特の雰囲気というかエネルギー
にくらくらします。


この感動を伝える画像は 写真家kenさん にお任せすることにして↓
   Kenz garden


ぼくは違う角度から「石切り場」を切り取ってみましょうか。
ちょっとだけ伊豆石に関することを調べてみました。



以下に記す事柄は、「近所の方」と「ある公的機関」で伺った
いわば聞き書きでありまして、私自身が文献・古文書など
調べて裏付けをとったわけじゃございません。
事実関係には一切責任持てませんので悪しからず。




① この山(石切り場)では、創業者である一族が二代にわたって
伊豆石を切り出したそうである。下田港から船で各地へ輸送した。

② この石切り場は大正12年の関東大震災直後まで
石を切り出していたが、需要がなくなったことにより廃業。
(関東地方で多く使われていた伊豆石だが、被災により、
伊豆石がじつは「脆くて建築資材に不向き」であることが
明らかとなる。
そのことが、伊豆石の需要を低迷させる一因となったと
いわれている)


③ この石切り場は大正12年あたりに廃業するまでの30~50年間
ほどの操業と推測できる。
(廃業は二代目が28歳の時であるそうだ)

④ 伊豆石を切り出す際には、高所から低所へ掘り下げていった。
この採掘方法は「平場堀り」と呼ばれ、横線の切り跡が石壁に見られる
ことが特徴である。



⑤ 伊豆地方のある文献には、
1つの現場には凡そ50~60人の石工が働いていたとの記述があるらしい。

⑥ 伊豆地方のある文献には下田町内に住む全ての人が伊豆石に
関連していた(石の切り出し・輸送・販売等々)との記述があるらしい。
(「全ての・・」とは、かなり「盛っている感」漂う文言であるが、往時には
それほどの花形産業であったことを筆者は伝えたかった、のだと思われる)


番外編
⑦ 下田富士の西(敷根)側の崖は”発破”で崩した名残である。
大正~昭和にかけての下田港築港の際、毎朝5時(!)に発破を仕掛け
採石した石を護岸工事等に使用した。

     ~ なんちゃって調査終わり ~



kenさん、案内ありがとうございました。

久しぶりにワクワクするひとときを過ごせたし、

アノ空間にとても癒やされました。てゆーか、

ヤられました。 感謝です。


この御礼に、今度はぼくが

南伊豆の石切り場をご案内致しましょう。







はくけい堂
2014,06,16


次回は久しぶりに、
「心因性腰痛について」の続きなんぞをUP予定です。
その後は、
ずっと書けずにいた「奥羽にて③」以降を書き進めたいな、
などと。


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