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悟りにおける身体感覚の重要性

仏教系の通信大学で勉強しているものですから、仏教のレポートも書かせられます。

「学校とは部活して弁当食って睡眠をとる場所である」と、信じて疑わなかった
偏差値30のできそこない学生が、二十数年後にこんなもの書くはめになるんですから、
人生ってなにが起こるかわかりませんねぇ。
。。。。。。。。。。。。。。。。

悟りにおける身体感覚の重要性

ゴータマ・ブッダは7年もの苦行の後、菩提樹下での瞑想で悟りを開いたと伝えられて
いる。苦行とは肉体を苦しめるものであるが、苦痛とともに己の身体を強く感じるための
方法と理解することも可能だろう。一方、深い瞑想状態では己の身体感覚は消失するとい
われる。この2つの修行方法は、一見、対極にある修行方法のように感じられるが、じつは
身体感覚を研ぎ澄ますという視点から見れば同一の目的であるといえる。

菩提樹下でブッダが悟った十二支縁起は、人の無知 (無明)が、いかに人生の苦(老死)
に結びつくのか示されている。十二支縁起において、人は自分で苦を作り出すとされる
が、そこでも感覚器官が大きく関与するという。触・六入・名色・識の段階は、「感覚
器官が対象をとらえ、その時に認識作用が働いている状態を意味(テキストP123)」す
る。取・愛・受では、感覚器官から送られ、認識された情報が情動・感情に変換され、
意識に上ってくる様が示されており、見たり聞いたり嗅いだりする対象を、誤って選択
すると執着を生むという。これらの記述は、ブッダが身体感覚を重要視していたことの
証左と考えられる。

古代インドの唯識瑜伽(注・ゆが=ヨーガ)行派とよばれる宗派は、現代で言う深層心理に
注目していたという。「五感の発生源である眼・鼻・舌・身・意と深層心理二識(マナ意識
・アラヤ識)を含む八種を、唯識学派の人々はヨーガの実践を通して浄化できる。さらに
さとりに到達できると考えた。 (略) 煩悩、執着によって左右しがちな人間の認識作用は、
ヨーガという心身の感覚を伴う実践を重ねることによって浄化できると説いたのである。
(久保田展弘 、2010、75ページ)」また、禅宗では不立文字・教外別伝が強調され、
「ただひたすら座ることによって、ブッダのさとりに直に入っていくこと(久保田展弘 、
2010、109ページ)」が宗徒らに薦められる。

思考で悟りを理解しようとすることは重要な作業である。しかし、人間の心は肉体と分かつ
ことができないことも我々は忘れてはならない。五感が捉えた情報は、脈拍・血圧の変化や
神経興奮を引き起こし、体内環境を変化させる。体内環境の変化は情動に変換され、情動は
感情に大きく影響を与える。感情・情動・五感の変化を、どこまで深く細かく意識で感じとる
ことができるかは重要である。つまり、身体の微細感覚に眼を向けることで、自分の本当の
心のありように気づくことが可能となるのである。そしてその時、我々は初めて「自分が自分
の主となる」ことができるのであろう。

(1044字)

【参考文献】久保田展弘(2010)仏教の身体感覚・ちくま新書



2011.07.15
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