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十牛図について考える

なーんか最近、私用で忙しく、新しい記事をUPできずにいます。
その代わりと言っちゃァなんですが、十牛図について大学で書かかされた
レポートなんぞ投稿いたします。ご笑覧くださいませ。

十牛図 google
http://www.google.co.jp/search?source=ig&hl=ja&rlz=1G1GGLQ_JAJP332&q=%E5%8D%81%E7%89%9B%E5%9B%B3+%E8%A7%A3%E8%AA%AC&oq=%E5%8D%81%E7%89%9B%E5%9B%B3&aq=1&aqi=g10&aql=&gs_sm=c&gs_upl=2422l7000l0l17031l13l12l0l0l0l3l500l3391l0.1.7.3.0.1l12l0



『十牛図』
 十牛図とは、十枚の「絵」とそれぞれに対する漢文「序(じょ)」と漢詩「頌(じゅ)」によ
って禅の思想が説明される禅宗の文献である。日本では十二世紀に活躍した廓庵(かくあん)
が伝えたものが馴染み深い。

 「第一 尋牛(じんぎゅう)」は牧童が山深く分け入って牛を探す場面である。しかし十
牛図の序は、実はすぐ近くに牛は居り、探す必要などないのだという。己が元来 備えてい
る仏性や如来蔵に気づくべき、との仏教初学者への教えを含んでいる。
 
「第二 見跡(けんせき)」で牧童は牛の足跡を見つける。「『足跡』は経典やその教えを
象徴(テキスト P217)」しており「牛は『真実の自己』」を表現している。
 
「第三 見牛(けんぎゅう)」で牧童は牛の鳴き声を聞いて牛を見つけ出す。「足跡は
(略) そばに牛がいることを示すもので」はないが「牛の鳴き声は牛がそばにいる (テキ
ストP220)」ことを確実に示す。これは、経典によって真実の自己に近づいたとしても
最後には自分の感覚を頼りに真実を見極め悟りに達するべき、という禅の己自究明の思想
に通ずる。
 
「第四 得牛(とくぎゅう)」では牧童が抵抗する牛を捕まえ手綱をつける。しかし「牛
を捕まえた喜びや安堵感は (テキストP225)」ない。牧童の目的は牛を捉えるのみにあ
らず、捉えた牛を家に連れて帰ることである。
 
「第五 牧牛(ぼくぎゅう)」で、牛はなかなか飼い馴らされず「勝手に歩きだして汚れ
た世界へ行ってしまう(テキストP232)」。飼い馴らされない牛は不完全な真実の自己を
表現しているのであろう。心理学的見地から考察すれば、牧童は意識を、牛は無意識を、
表していると解釈できる。意識(牧童)は理性を持つが心的領域は小さく(力は弱く)、無意
識(野性の牛)の領域は膨大(力が強い)だが本能の赴くままに行動してしまう。真実の自己
(牛)も初めから完全ではなく、真実の自己の中にも善悪があり牧童の中にも善悪がある。
両者に優劣はなく、同調し一体となることが大事である、という解釈もできる。
 
「第六 騎牛帰家(きぎゅうきか)」では、牧童が牛に騎乗して我が家へ帰る。このこと
は、意識(牧童)と無意識(牛)が同調し、その堺が薄れ無くなり、牧童と牛が一体となって、
平穏な状態(我が家)に戻ることを表現している。
 
「第七 忘牛存人(ぼうぎゅうそんにん)」で牧童は牛とともに家に帰った。しかし絵・
頌ともに、牛の姿は描かれていない。序<訳>には「牛をしばらくの間、主題としたにすぎ
ない(テキストP242)」と記されている。
 
「第八 人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)」の絵は、人も牛も家も自然もすべて消え、円だ
けが描かれる。この円は一般に「一円相」「空円相」とよばれる。廓庵の十牛図の「もっと
も特徴的(テキストP251)」な点であり、この円相を上田閑照博士は「飛躍的展開」と
解説する。この円は、聖者や名僧らが経験する無我の境地を表現したものと考えられる。
過去も未来も現在も上下左右もない。時空間と 私 が消えて"ただそこに在る"のである。
 
「第九 返本還源(へんぽんげんげん)」では、自然だけが描かれる。ここで牧童は無我
の境地から現実世界へ静かに戻ってきたと解釈できる。以前の牧童は「現象世界の栄枯」
は作為的」であった。「水」はいまほど「緑」でなく「山は青」くなかった。現在の牧童は
以前と異なる美しい世界に生きている。
 
「第十 入テン垂手(にゅうてんすいしゅ)」では、真の自己を実現した老人(以前の牧童)
が牛を探し求める若い牧童を教化している。「テン」とは賑わう街を意味し、「垂手」は人々
を教化済度することを意味する。聖者はただ聖者であるだけで満足せず、大乗仏教の見地
から市井に戻り人々を教下するのである。

 心理学が創始される遥か以前から、仏教哲学は意識と無意識のかかわりを考察してきた
。後発の心理学が、十牛図「見牛」~「忘牛存人」のくだりを眺めた場合、意識 (牧童)が
無意識 (牛)の存在に気づき、一体となることで人々に平穏が訪れる、との解釈ができる。

現代は、うつ病ほか精神疾患の急激な蔓延が物語るように過剰なストレスに晒される時
代である。そんな我々に十牛図は"自らが無意識の底に閉じ込めたネガティブな感情に一
刻も早く気づき、そして対峙し、さらに飼い慣らし、穏やかで楽な人生をとりもどせ"と
教えているのではないだろうか。

(1,778字)


2011.09.03
はくけい堂
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