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こころはどこに在る?①

こころとは
感覚情報(入力)

情動

感情

表現(出力)

・・・という
「一連の情報の流れのことを言うのではないのだろうか? 」

つまり、
「こころはあるひとつの臓器(たとえば脳や心臓)に存在するのではなく、
情報が伝わり、または情報が滞留する、その流れ(または回路)のことを
指すのではないのだろうか? 」

「もちろんその回路に上位と下位、または中枢と末端はあって、
もちろん脳はこころの中枢ではあると考えられるけれど、
こころ=脳ではない。 」

「無意識とは肉体の身体感覚(意識化されない情動)を含むのではないのか?」


1


なんてーことを昨朝 寝ぼけまなこで考えていて上図がひらめいたときは
「世紀の大発見!」でもしたような気分で興奮したんですけどね、
文字にしてしまうとなんかフツーのことですね、がっくし。

ぼくが「心はどこに在るのか」を考えるとき、
アントニオ・R・ダマシオという神経学者の影響をかなりうけています。
また時間を作りながら、もう少し人様にもわかりやすい文章で書いてみたい
と思っています。

「無意識の脳 自己意識の脳(アントニオ・R・ダマシオ著/講談社)
訳者まえがきから抜粋(P4-5)」
著者の言う「情動」を手短にまとめればつぎのようになる。動物や人間の
ような「有機体」が何かを見る、触る、聞く、想像する、などをすると、
その結果「身体的変化」が生じる。
ダマシオ博士が前著であげた例を引けば、たとえば、巣の中のひな鳥はワシ
が何かを知らないが、広い翼をもった物体がある速度で頭上を飛ぶと、警戒し、
頭を隠して反応する。あるいは、長い間音信不通だった友人と再会するとか
同僚の死を告げられるとか、そうした状況を想像するとかにより、心臓が
高鳴ったり、顔が紅潮したり、蒼白になったり、腸管の一部が収縮したり、
口や目のまわりに筋肉が緩んだり緊張したり、と、身体のさまざまな部位
にさまざまな変化が起こる。このように<なにがしかの心の評価的なプロセス>
―単純なもの、複雑なもの、いろいろだが― と、それがもたらす身体的反応
との組み合わせを、著者は「情動」としている。
一方、こうした情動的身体状態は神経信号や科学信号によって有機体の脳に
即座に、しかも連続的に報告され、脳の中で神経的に表象される。この神経的
に表象されたものが、著者ダマシオの言う「感情」である。



意識とは渦ですねえ。



2011.10.22
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