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こころはどこに在る?②

哲学の「心身問題」についてのレポートなんぞUPしちゃいます。
訳わかんない文章を長々と書きましたけど、ぼくが書きたかったことは
緑字に集約されます。よかったらご笑覧くださいませ。

1,782文字(1,800字制限)
75点

。。。。。。。。。。。

近代から現代へかけての心身問題

はじめに
デカルトの唱えた心身問題は、次世代の哲学者がデカルトに反論し、そのまた
次の哲学者が反論を重ねる、という歴史を繰り返す。この心身問題とは如何なる
問題を孕んでいるのか。また、現代に至るまで未だ決着のつかない(一見、決着
したようには見える)心身問題が如何に考えられてきたかを年代順に考察する。

デカルト( 1596-1650 )は真理というものを「いかなる疑わしきものも含ま
ない明晰判明な認識(テキストP159)」と定義した。人間の五感に基づく情報
を一切排除することによって、理性がはじめて確立されると考えたのである。
その理性を基礎とした近代科学の方法論をデカルトは示し、大きな功績を世に残
したが、その言動には理性主義の限界も垣間見える。デカルトが延長せる存在を
強調したことで、身体の二義性を彼自身が産み出し、心と体の「結合根拠を見失
(同P160)」ったのだ。この問題を解決しようと松果腺説 (心臓と松果腺は
動物精気を媒介して、精神と身体が影響しあう) を唱えたが、この仮説は 
①松果腺説は科学的に実証されていない ②精神がどうして「延長せる存在」に
影響するのか説明されていない、などの二点から二義性のパラドックスをデカルト
は反証できていない。
 
次世代のスピノザ( 1632-1677)は、デカルトの心身因果論では心と身体は
「接点を持たず隔絶しているのだから(同P161)」両者は交通し合えるはずがない、
「精神と物体を実体とみなすような哲学はいちど解体されるべき(P162)」と
激しく否定し、心身平行論を提唱した。「直覚知」「神即自然」などの概念から
心身の関わりを説明しようと試みた。しかしこの主張は、神または自然が人類全体
に関わる作用についてのスピノザの哲学的解釈であって、個々の生命体の心と身体
がどう関わり合うかという根本的な説明が不足している。
 
その点について、ライプニッツ( 1646-1716)はスピノザの心身平行論を「人間
を含む一切の生命個体はいまや『働かないもの、能動的な力を欠くもの、識別性を
欠くもの、つまり存続のあらゆる基礎および根拠を奪われたもの』に過ぎなくな
(P163)」ったと批判し、自身のモナドロジー理論を展開する。モナドとは
ギリシア語で「ひとつ」という意味だが、ライプニッツのいうモナドとは、其処に
「一体性」をも含む。この説は生命体の在り様を、精神は集中作用(ひとつ)、
精神を対応連関(一体性)として捉えている。これは、デカルトの理性主義とスピノザ
の神即自然という両者の主張を、渦巻くダイナミクスの中で統一したものである。
このライプニッツの主張を予定調和説という。
 
近代まで自然の様々な事象すべては神の意思によると認識されてきたが、現代科学
はそれを自己組織性という単語に変換して理解しはじめた。自然のダイナミクスを
「情報」の流れという自己組織性によって、神(創造主)を抜きに説明しはじめたのである。
 生命物理学者である清水博は「情報」の流れについてバイオホロニクス理論の中で
ホロニックループとよばれる情報循環システムを提唱した。清水は「情報を定義しよう
とすると『生存目的』という概念を導入せざるをえない(P171)」と述べている。

「生きているシステムの中の情報には、

本来、心身の実在的区別などありえない


(P171)」という、この清水の主張は斬新である。なぜならば、身体を作る・守る
ために必要な情報が身体から脳に発信されるとき、その情報は脳内で意味・価値ある
高次の精神作用(情動・感情・自由意志)を喚起する。その結果、摂食・排泄等々の
表現行動に結びつき、その行動後の感覚情報がまた脳に発信される。

生命体の求心・遠心性情報は留まる事なく

双方向的に流れ続けて渦を巻き、

ループを螺旋を描き続ける。


このことから、心身を分けて考えることなどナンセンスだ、と結論づけられるからである。


まとめ
 哲学は長きにわたり、正しいか間違いか、物心二元論か一元論か、唯心論か唯物論か、
などという、一か二か、零か百か、という二者択一の静的思考に縛られてきた。しかし、
これからの時代にそのような過ちを繰り返してはならない。零か百かという古い思考
から脱却し、ライプニッツや清水博の考察を参考にしながら、事象が渦巻くダイナミクス
の均衡点を零から百までのどこかに見つけ出す動的思考が大切であると考える。


。。。。。。。。。。。

ココロって、

全身を行き来する情報の渦巻きのこと

であって、「ココロが何処にあるか」なんて

特定できない。


・・・んじゃないのかなあって思います。
脳は心の中枢であるかもしれないですけれどね。




はくけい堂
2011.11.26
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